
「毛沢東主席の命日に、遺体が安置されている記念堂を参観するため行列するチベット仏教僧侶たち。なんとなく複雑な気持ちにさせる光景だ」
■毛沢東主席の遺体が安置されている毛沢東主席記念堂前。地方からのあか抜けない観光客や若者に混じって、赤い衣のチベット仏教僧侶の一団も並んでいた。「チベット自治区からこの日のためにきた。われわれも共産主義の理想を信じている」と二十歳ぐらいの若い僧は言う。毛沢東がチベットに対し何をおこなってきた知らぬかのような無邪気さだ。
■その隣にいた河南省からの男性旅行客(42)も言う。「毛主席が今の貧富の差をみれば、きっとか造反有理と言うだろう」。何人かの大学生に「毛主席のどこがいいの?」と尋ねると、全員が「カッコイイ!」と口をそろえる。
■昨今の「毛沢東崇拝者」には20代から40代前半が目につく。毛沢東時代の迫害や粛正を体験せずに、教科書で理想像としての毛沢東しか教えられていないポスト文革世代。この世代はネット世代とも共通し、ネット上にあふれる「毛沢東旗幟」「毛主席ネット」といった関連サイトを愛読している層でもある。
■「毛沢東旗幟」サイト上には「圧力あるところに抵抗あり」「全世界の無産階級者よ連合しよう」と標語がおどる。これはひょっとして、今の改革開放政策への挑戦?大手ポータルサイト新浪の掲示板には「毛主席と人民の前で、すべての汚職官吏と人民の敵をふるえあがらせてやろう」と、まるで階級闘争を呼びかけるようなセリフに「頂」(支持)のコメントがあつまる。「毛沢東信仰」の根底に、現政権への不満があるようだ。
■毛沢東の死で文革がおわり、改革開放に切り替わった後、中国にはものすごい貧富の差と、特権階級の拡大による汚職の拡大が発生。共産主義の理想はくずれ、厳然たる階級社会が現れた。かつて国の主役ともてはやされた農民、労働者は下層階級として、いまや搾取の対象だ。
■文革を青年期に経験した作家、閻連科さんは、知識人として文革は過ちだったと見ているが、「貧しい農民にとっては文革時代の記憶は決して悪いものではない」と認めている。
「なにせ、地主や金持ちをやっつけられたのだから」。
■文革期、少年だった作家、余華さんは文革の知識人迫害の凄まじい描写を含む小説「兄弟」を昨年発表したが、「子供に、文革ってなに?ときかれたら、長い夏休みみたいなものだ、と答えたね。学校にいかず、毎日がお祭りみたいにバカ騒ぎをずっと続けていたんだよ、とね」という。文革経験世代にとっても、必ずしも文革は悪夢ばかりではなかった。
■現状の生活に、熾火のような不満と不条理感覚を抱えている、農民や労働者、大学で党幹部子弟の横暴を目の当たりにしている苦学生、共産党の求心力を高めるための愛国教育をうけてきた若い世代のうつろな心に、毛沢東思想や毛沢東の掲げた理想が燎原のように広がったとしても不思議ではない。
■しかし、これは非常に、不穏なことではないか?先日のエントリーで宗教、とくにキリスト教が中国で広がっている状況を紹介したが、非公認キリストが現政権にとって脅威にうつるように、毛沢東個人崇拝もゆきすぎれば、現政権否定の動きにつながる、あなたがたのいうところの「邪教」になってしまうのでは?
■愛国教育に染まったのか、活きるすべとしていたしかたないとあきらめているのかはわからないが、チベット仏教僧侶の心までとらえる「毛沢東思想」。やはり、わかりやすさと魅力、求心力はある。一応、胡錦濤政権は、ことあるごとに毛沢東思想をかりて弱者救済、農村経済立て直しをかかげているが、現状が変わらねば、口先だけだと思われる。いつか、我こそは毛沢東の生まれ変わりと自称する若者が、「たて!飢えたる者たちよ」と叫び出したら、どうするよ?
■当局もやはり、毛沢東個人崇拝に不穏さは感じているのか、9日までの新聞やテレビの公式報道は抑え気味だった。工商総局はこのほど「国家指導者の肖像や詩を広告に使ってはならない」との通達を出し、レストラン、ホテルの毛沢東像撤去を命じるなど、毛沢東崇拝を抑えようとしているかに見えるうごきもある。そんなおふれが、逆にネット上では当局非難をよんでいるみたいだが。
■ちがうよ、中国よ、そんなことより、学問の自由だよ、言論の自由だよ、正しい歴史検証と歴史教育を行わなきゃ。と親中派記者は、老婆心ながらこんなエントリーを書いてしまうのである。
(新聞原稿をブログ用に改稿)


by sylvana
ただいま~、本を二冊ばかり出…