■中華料理で肉(ロウ)といえば、おおむね豚肉をさす。中国人が最も好む肉だろう。しかし、昔は、豚肉は卑しい肉でもあった。たとえば、宋代の詩人、蘇軾の「豚肉の詩」(猪肉詩)。
「黄州のよき猪肉(豚肉)、価銭は糞土のごとし、
貴者はあえて食わず、貧者も煮ることをあたわず、
よわき火、すくなき水、火力たりるとき、それ自らうまし
毎日起きて一碗をもり、飽きて自家君をかまうことなかれ
(黄州好猪肉,価銭如糞土;
富者不肯喫,貧者不解煮
慢著火,少著水,火候足时它自美
毎日起来打一碗、飽得自家君莫管)
黄州の質のよい豚肉は、値段はくそみたいにやすく、身分の貴い人は食べず、貧乏人は料理する腕がない。
でも少ない水でじっくりにこんで、火がよーくとおると、うまくなるんだよ。
毎日おきると茶碗に一杯、自分でつくって自分で満足しているのだから、
あなた、あれこれいわないでね。
■宋時代、豚肉は猫のエサくらいにしからない、下等な肉だった、と「中華料理の文化史」(張競著、ちくま新書)にもある。豚は残飯や人糞などなんでもたべる汚い動物。毛並みだって薄汚れている。いまでも、農村にいけば落とし式便所のしたに豚を飼い、汚物をたべさせる家はたくさんある。しかし、蘇軾は、卑しく汚い醜いこの動物の肉の美味なる本質を見抜き、礼賛した。そう、食材なんて、見栄えがわるくても、新鮮でおいしくて、最終的には衛生的に処理されれば、それでいいのだ。
■ところが、現代人ときたら、虫食いはダメ、形や色のわるいものは受け付けない。その結果、豚肉を美しいピンク色にする「痩肉精」なる化学薬品などまで出回ってしまった。これで育てた豚の肉は、みためは確かに食欲をそそるが、きっと蘇軾は礼賛しないだろう。これは、食べたらヘタすれば20分ー4時間後に身体がふるえ、めまいや吐き気など中毒症を起こす危険性があるからだ。まくらがながくなった。今回は1998年以降、わかっているだけで2000人以上の中毒者をだした豚肉の痩肉精汚染の状況を紹介する。
■狂牛病より、口蹄疫より、鳥インフルエンザより
こわい痩肉精中毒
ピンク色の美しい肉ほどあぶない
五輪選手が食べれば薬物違反で失格だ!
■「痩肉精」といわれても、ピンこない人が多いかもしれない。では塩酸クレンブテロールといえば?スピロペント錠といえば?お医者さんなら知っているだろう、ぜんそく発作の薬、気管支拡張剤だ。「痩肉精」とはこの塩酸クレンブテロールを主成分とした化学薬品。
この薬物は単純にいえば交感神経を興奮させる作用があり、これをエサにまぜられた豚は、興奮するから?脂肪がへり、筋肉に赤みが増す。つまり肉色が鮮やかなピンクになり、肉を商品化したとき見た目がよくなるそうだ。
■薬物だから当然副作用がある。まず手のふるえ、めまい、動悸、不整脈。いまでは治療にもあまりつかわれない。それほど、慎重に取り扱う薬である。その薬をとくに量もさだめず、豚に食わせた結果、その薬が肉や内臓にのこり、それを食べた人間が中毒になるという事件が、1998年ごろから全国的に多発。当局の不完全な統計では2006年までに1700人以上(1人死亡)の被害はでている。最近では2006年9月に上海市で浙江省海塩県産の豚肉を食べた336人が中毒を起こす事件が記憶にあたらしい。
■痩肉精を発明したのは、周勍著「民以何食為天」によれば米国人らしい。80年代初めのこと。で、世界で最初に「痩肉精」中毒事件が出たのは実は中国ではなく、スペインだ。1990年3月、牛肝スープを飲んだ43家庭135人がふるえ、悪寒などの集団中毒症状を訴えた。その後、7月までに125件の同様の集団中毒事件が発生、いずれも牛肝、豚肝を食べたあとだ。
■さらにスペイン、イタリア、フランスで同様の事件があり、欧米では痩肉精の危険性を警告するようになった。ちょうどその頃、中国の一部科学者が、これを中国国内に持ち込み、「豚の赤身率をあげる科学研究成果」として発表、化学飼料として沿海地区の飼料加工工場や養豚家に普及させはじめた。海外でその危険性が問題視されているものを、さも独自の研究成果のように発表し、平気で国内で普及させようとするあたり、中国人とは恐ろしい。
■しかし、90年代後半から、中国沿海地区を中心に痩肉精問題がじわじわ表に出始めた。報道ベースで最初に中国で痩肉精中毒が確認されたのは1998年。広州市で豚肝の生姜炒めを食べた一家六人が、食事後、ふるえ、頭痛などの中毒症状を起こし、医者にいったところ化学物中毒と診断された。家族が豚肝炒めを疑って広州市検疫当局に検査を依頼したところ、結果として、塩酸クレンブテロールが検出された。
■1999年4月、上海のスポーツ選手2人が豚肉を食べたあと、尿から塩酸クレンブテロールが検出され薬物検査で失格になる事件もあった。この例から、たとえ中毒にならなくても、北京五輪のとき五輪選手などが中国の豚肉を食べて、ドーピング検査にひっかかる可能性だってまったくないとは言えないことがわかる。五輪関係者の方には、くれぐれも選手の食事には注意してほしいものだ。
■2000年1月には浙江省杭州市で数十人が紅焼肉をたべて集団中毒を起こした。2001年3月には広東省順徳市杏雲鎮である養豚家が屠殺した豚9頭の肉をたべた村人約630人以上が集団中毒を起こした。同年8月26日の広東省信宜北界で約530人の集団食中毒がおこったときには、この肉を売った養豚家も公安当局に取り調べられる大事件に発展した。
■このとき、痩肉精を含む飼料を押収、その飼料の仕入れもとをたどって四川、浙江、広西などの地下飼料工場が摘発され、「痩肉精」問題が全国的に食品安全問題として意識されるようになった。
■ちなみに、痩肉精問題について最初に危険を注意喚起した地方政府高官は、浙江省書記だった習近平氏だといわれている。2001年1月27日のCCTVの番組で習氏はこういっている。「私の友人のある画家は、酒の肴に豚肝をよくたべるが、しばらくして手が震えて絵筆がもてなくなった。これはどういう原因かと、医師にいくとクレンブテロール中毒だという。のちに豚肉をたべなくなると、症状が改善した。このことから(痩肉精は)明かに危険だ」「われわれは外国から20万元もする機械を購入した。これで判断すれば、痩肉精を使用しているかすぐにわかる。…これは全国で初めて豚屠殺の現代化を進めた例だ…」
習近平氏は最近、上海市党委書記になり、出世街道ばく進中だが、こういう面をみると、やはり有能な人らしい。地方高官には養豚場の株をもっているゆえ、痩肉精使用の被害がでても隠蔽してしまう人もいるのだから。
■しかし、なぜ養豚家は危険とわかっていても「痩肉精」を使うのか。「民以何食…」中、こんな記述がある。
「農業省高官が養豚場を視察にいったとき、毛並みがつややかでまるまると太った豚が目をひいた。普通の豚とはあきらかにちがうので、高官が不思議におもってきくと、養豚場の農民が答えていうには、見目よい豚は痩肉精をエサにくわせている。屠殺して肉にしたとき、色がきれいで、よくうれるので都市部向けに準備しているのだ、普通の豚は農村用だ、と。
高官が、痩肉精は人体に害は無いのか、ときくと農民は、どっちにしても都市民は医療費が公費だから、問題ないでしょう、といった…。」
■これは著者・周氏が、農業省高官に随行した食品安全官僚の知人から聴いた逸話として紹介している。当局が痩肉精について本格的に調査しはじめたのは2001年以降だから、これはその前の時期の話しだろう。
■痩肉精を食べさせた肉の方が都市で高く売れる。利益率にして、普通の豚の3倍と、同書は指摘する。それが身体に害があったとしても、どうせ、医療システムの整った都市の人たちが食べるんだからかまわない、という。この口ぶりに、農民の都市民へうらみや憎しみを感じてしまうのは私だけだろうか。
■貧富の差の激しい中国で、農民にとって実は未だに肉類は貴重だ。毎日肉を食べる農民なんて、まだほとんどいないだろう。農民がつくる肉や野菜の一番よい部分、最上の部分は全部都市へいく。だから、家畜が病気で死ぬと、農家の子供たちは喜ぶのだ。死んだ家畜は都市で売れないので、自分たちで食べることができるからだ。それで、食中毒になったりすることもある。(だから、中国の農村で鳥インフルエンザの人への感染が心配されるのだ。死んだ鶏をすてろ、といっても、そんなもったいないこと農民にできるわけがないのだ)
■その一方で、都市の飽食が急激にすすんでいる。それも中途半端にぜいたくに目覚めてきているので、きれいな色、きれいな包装、高い値段のものがよいもの、という大いなる誤解をしたうえの飽食。そんな都市民の贅沢を満足させるために、痩肉精をつかうことなど、農民にとっては、たとえ人体に有害なものだとわかっていたとしても、後ろめたさはないかもしれない。そこに生産者としての誇りとか、モラルとか、そういったものはみじんもないようだ。
■さて、痩肉精中毒が多発するようになると、確かに取り締まりも厳しくなり、食品また被害者が養豚家を訴えるなどの法的措置もおこり、痩肉精を食べた豚を売ることが有毒食品販売罪として実刑の対象になってきたことから、痩肉精使用は全体的には減ってきたようだ。
■2001年、北京で行われた調査では市場の豚肉や豚内臓の18・8%が痩肉精に汚染されていたが、2005年には0・08%までに減少している。さすがに五輪をひかえて、こんなこわい豚肉が市場にでまわっていては大事だから、北京市当局は必死だ。
■しかし、痩肉精使用が減ってきたのは、養豚家ら生産者の意識が高まったわけではなく、当局側が検査検査検査、で厳しく取り締まり、発覚すれば思い罰金、実刑を与え始めた結果だ。
■検査、取り締まりの手をゆるめると、彼らはまた痩肉精を使い出すかもしれない。ちなみに、痩肉精検査は一頭の豚あたり、100元プラス4、5時間の検査時間がかかるとか。もっと手軽な検査法も開発中らしいが、中国農村に豚を買っている家は約一億戸。これらすべてに目を光らせることは、難しい。
■痩肉精など食品安全の問題は、生産者のモラルの問題が大きいが、その背景には教育不足や単なる拝金主義だけでない。都市の発展が農村の搾取の上になりたち、食の消費者である都市と食の生産者である農村の間に、深く暗い敵意がよこたわっている、ということも関係あるのでは。冗談でなく、食品安全の問題は、農村の都市への未必の故意の報復のような気もする。
■私の親は、米一粒でも残せば、「農家の人が一生懸命つくったご飯をムダにするな」と怒ったものだった。日本の家庭は、だいたいそうではないかな?今年2月、日本に帰ったら、実家でつかっていた野菜のパックに生産者の名前と顔写真つきの「私が作りました」シールがはってあって、びっくりしたが、こういうのは、とても日本人的と思う。
■消費者は生産者に感謝するし、生産者は消費者に喜んでもらうことを誇りにする。中国で本当に食品安全を確立するのはそういう消費者と生産者の健全な関係を育てることだろう。その一歩は、農村と都市のいびつな関係を健全なものにすることではないか。
■冒頭の詩は蘇軾、つまり蘇東坡は、詩文で政治を誹謗したという讒言をうけ、投獄後左遷された湖北省黄州で、農民においしい豚肉料理・トンポーロウ(東坡肉)の作り方を教えたときに吟じたといわれる。当事、卑しい肉と言われた豚肉を、こんなにおいしんだよ、と礼賛した蘇軾。それは貧しく搾取とさげすみの対象であった農民への肯定と思いやりでもあったのでは。
見栄えやイメージに惑わされることなく、その本質を賞味し感謝し礼賛する、そういう蘇軾の「猪肉詩」にあるような精神こそ、食の安全の確立に必要なのではないかと思う、というと、ちょっとこじつけっぽいか。


by nihonhanihon
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