■ツイッターですでに報告したが、11月30日をもって福島は産経新聞を退社し、記者賞記者章その他を返却した。で、若干の感傷を打ち消すつもりで、そのあとに下野なう、とツイッターでつぶやいたところ、新聞社をやめると、なぜ下野なのか。産経新聞は与党なのか、という突っ込みがやはりツイッターで入ったので、一応説明しようと思う。
■下野とは、官職を辞職して民間にくだること。一般には与党から野党になることをさす。要するに権力の座からおりることだ。では新聞記者は権力の高みにいるのか。というと、実はそれに近いと思う。新聞・テレビ、つまりマスコミは第四の権力といわれる。建前かもしれないけれど、世論民意を代表するものがマスコミだと思われ、民主主義というのは、世論こそ王様の政治システムだからだ。世論を味方につけることができたものが、政権の座につくことができる。ということで、大マスコミのもつ力は政権と対等、ときには大きいこともあるといえる。
■新聞記者は入社したとき、「記者は民衆の耳目だから取材する権利を与えられる。相手が誰であろうと、首相であろうと大統領であろうと、取材する権利がある」などと教えられる。私はそう教えられたよ。
■ただ、本当にマスコミが世論を代表するものか、大衆の耳目なのかというと、これはこれで微妙。マスコミというのは日本の場合商業メディアで、売るためには大衆の顔色を見て、大衆の意見を吸い上げる。同時に「世論をリード(誘導)する」とか言う表現があるように、マスコミの作る論調が正しいものとして世論に与える影響というのも大きい。実際テレビの作り出す流行、論調、ムードが世間を一色に染めることもある。
■だから、政権側もマスコミに対してはできるだけ慎重に誠実に対応しようとするし、マスコミを味方につけなきゃ、と働きかける。そこで政権側にプラスになるよう世論誘導に協力しようというマスコミも出てくる。権力との対決姿勢こそ報道の醍醐味と思うマスコミももちろんある。ともにわれこそは世論を背負っているというけれど、実際のところ権力ゲームに加担して自らプレイヤーである面白みにはまっているだけかもしれない。ただ、そういういろんなマスコミが競争し作用しあって、社会全体としてはバランスのとれた影響力を与えているんじゃないだろうか、と私は思っている。
■自民党政権時代、産経新聞は客観的にみて自民党に寄り添っていた新聞であったと私は思っている。もちろん所属するすべての記者がそうではないし、すべての記事がそうではない。新聞ごとに社論というのがあって、物事の見方についてある程度の方向性を決めるのだ。産経新聞は保守中道親米のポジションをはっきりさせており、保守親米の旗を党として掲げているのは自民党なので、自民党寄りになる。これは自然のことだし、別に新聞がイデオロギーをもって悪いことはないと思う。イデオロギーで新聞を売ってはいけないが、新聞がイデオロギーをもってもいい、というのが私の考えだ。
■しかも、メディアの圧倒的多数が民主党寄りで、政権交代を実現させることこそマスコミの正義、と思っているかのような報道が圧倒的に多いのだから、何をしても世論の支持を得られない自公政権側に、5大紙の中の一番部数の少ない産経が立ったところで全体のバランスからいっても、決して社会に不利益をもたらすことはないだろう。
■ところで、政権が代わって、私はこのマスコミと政権と世論のバランスが徐々に変わってきているように思う。献金そのた結構危うい問題がでてきても、鳩山不況と呼ばれそうな状況が頭をもたげはじめても、鳩山政権の支持率はテフロン加工のように傷まないのだ。
■メディアの多数が民主党よりで、追及が甘い、という人もいるが、新聞に限っていえば、いわゆるリベラル紙、民主党よりとみられている新聞だって、献金問題は競争して報じている。確かに鳩山首相は記者に対する低姿勢や質問を決して途中で打ち切らないぶら下がり取材のやり方は、マスコミの好感を得ると思うが、そこは腐っても記者なので、やはり違法性がありそうな問題はしっかりと追及するだろう?しかし、世論の方がそんなマスコミに対して、「この大改革にチャレンジしようとする鳩山政権に対して、そんな小事で足をひっぱるな」という空気があって、そこで、商業メディアの立場からマスコミの方が若干ひるむような傾向もありそうだ。
■つまり、マスコミが世論を代表するものでもなくなりつつあり、世論をリードする影響力も低下し、むしろ世論からマスゴミ、カスゴミと批判されることも増えている。そのかわり政権が直接世論を代表し、リードしはじめている。政権が世論を直接掌握し始めている、気がするのだ。
■それは、現政権がマスコミを通して世論を吸い上げたり、マスコミを掌握することで世論を味方にしようという旧来のやり方から、マスコミの頭越しにインターネットなどを使って直接世論、民意の意見をすいとり働きかける手法をとり始めているからだろう。
■それが、たとえば事業仕訳けの公開やネット動画の生中継であったり、ツイッターなどを通じた議員のつぶやきやそのリツイートであったり、ニコニコ動画もいれた記者会見の公開であったり、記者クラブ開放論であったりという一連の動きだと思う。政権がマスコミを通さずに一次情報を直接、有権者に渡し、判断してほしい、と訴える。
■産経新聞時代にやったネットインタビューで、民主党新人議員の岸本周平氏がこういったのを思いだした。「前政権と現政権の一番の差は情報公開度の差だ。現政権が取り組まねばならない改革というのは既得権益に切り込むものだから、非常な困難を伴う。メディアは本当に応援してくれるかどうか分からない。ただ、メディアは国民の方を向いているから、国民がどう思っているか、ということがすごく大事になってくる。だから国民を味方にするしかたない。そのためには情報公開しかない」。
■岸本氏はそしてさらに、大量の一次情報を整理して有権者に届ける役割は商業メディアではなくて、NPOであるべきだ、という考えを展開していた。
■で、この一次情報を政権から有権者・国民に直接渡す、あるいはNPOによって整理してもらう、というやりかたは、インターネットの発達にともなう情報発信、情報取得の多様化多数化、個人単位が不特定多数から情報をうけ発信しうるそういう環境が整いはじめたから可能になりつつある。だけど、ではそうなったとき、新聞テレビの役割はどうなるのだろう。岸本氏の考えが民主党の理想というなら、ようするにマスコミの影響力をそぐのが、民主党政権のも狙いなのか、マスコミを第4の権力から<下野>させようということなのか、と思ってしまった。
■国民にとってその方がいいじゃないか、という人は多いかもしれない。国民はマスコミが料理し味付けた情報より、生のまま新鮮なものをバリバリたべたいのだ。その方が、素材の味がわかって安全、と思う人も多いだろう。マスコミの味付けはあまりに化学調味料が多すぎるから、と。正直一足早く、<下野>した私は、もし今後、フリーランスで何か書いていく仕事をすると考えれば、やはり一次情報をもっと簡単に手に入れられるシステムの方がありがたい。すべての記者会見や会議がyoutubeかなんかでオンラインでみれたら、すごく便利だ。
■でも、ふと思うのだ。個人個人が政権側から直接情報を受け取るのはいいとして、では個人個人がこれまでマスコミの第4の権力のかわりに、政治家を監視をしたり、プレッシャーを与えたり、ときに駆け引きをして政治の流れを変えたりできるのだろうか、と。
■権力と対峙し権力と戦うには権力が必要だ。これまで政府(行政)と国会(立法)と司法に世論を代表するマスコミの権力がバランスをもって対峙しあったりけん制しあったりして、ひとつの権力が暴走するのを防いできた。
■現政権の方針をみると、国会の多数をしめる与党は政府と一体化すべし、ということをいってて、国会の政府に対する監督機能は弱まる方向にいくのではないかと危惧されている。さらにマスコミの影響力がそがれたら、そのバランスがくずれることにはなりはしないか。
■いや、個人が個人の意見を政権に届かせるネットツールが発達した今、投票権をもつ国民ひとりひとりがしっかり政治を見極め、影響力を行使できるようになる、という人もいるかもしれない。
■でも、その個人個人の世論が受け取る情報が政権側から直接発信された一次情報が圧倒的に多いとしたら、その判断は、大マスコミの記者がトイレの前までべったりついてまわって、よせ集めた情報を分析したものとは違うかもしれない。
■たとえば、新聞テレビ雑誌は調査報道、特ダネ、プロフェッショナルな分析やコラムなどの深い報道をにない、一次情報、公式発表は政権と、民間の寄付で運営される情報NPOが無料で提供するといった形で、すみ分けができればいいのかもしれない。でも、そのすみわけが大マスコミに与えられていた市場を縮小させることだと考えれば、新聞やメディアの収入を減らし、結果的に経費削減ということで取材力を落とすことになるかもしれない。
■マスコミが記者会見開放、記者クラブ開放などに抵抗し続け、既得権益を守ることが、マスコミの取材力と影響力を維持し、第4の権力の座を守ることにつながる、とは私は思わない。けれどマスコミがこのまま弱体化して、政権が直接世論をリードしたり掌握したりすることは社会にとって不利となる可能性もあるのではないかと思う。
■今の政権が間違いなく善政を敷いていると思えて、それで世論の支持が高いのなら、あまり違和感もないのだろうが、政治とカネの問題も、経済政策も、外交もあきらかに危うさが目立っており、これまでの例からみれば、政権への大バッシングの嵐があっても不思議ではないのに、かくも世論を味方につけている状況をみると、やはり私はちょっとこれでいいのかと思ってしまう。
■ずいぶんまえ、産経新聞社会部がツイッターで、政権交代の瞬間、「下野なう」とつぶやいて、ものすごいバッシングにあい、新聞社側が陳謝した事件があった。けれど、もしそのつぶやきを行った記者が、新政権の野望のなかに、マスコミの弱体化というものが隠れているのではないか、とい見たのなら、私は言い得て妙、と思う。政権が交代したとき、大マスコミの緩やかな下野への道は始まっているのかもしれない。
■それが、より情報公開度、透明度の高い社会をもたらして国民生活を豊かにすることになるのか。あるいは、人々は政権が直接発する大量の一次情報公式情報を受け取るだけで、おなかいっぱいにさせられ、政権が世論を掌握しやすい状況をつくるのか。マスコミ批判をする人も、生き残り策を模索するマスコミも、そこを考えないといけないのだろうと思う。

小さい四角いのが国会記者章。ペン先のマークなのだ。これを返したとき、ちょっとだけ、下野して議員バッヂはずす議員さんの気持ちがわかったような気がした。


by nihonhanihon
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