■衆院が解散して、ようやくひといきついたところです。でも、きょうは院内記者クラブのおひっこしがあるんですけど。国会が終わるたびに引っ越しするんだ、平河の記者たちって。一部選挙班にうつったり野党に応援にいったり組替えもあります。
■ということで、すこし余裕ができましたので、先日から懸案でありましたエントリーの入れ直しをしておきます。RAMさんから、内容の危険性について指摘されたので、いったんひっこめさせていただきました。確かにご指摘のとおり、記事に誤った内容があり、人の命にかかわるものであったで、応急措置として。すでにコメントもいくつかついていたので、削除はしていないです。
■改めて読み直すと、感傷が先にきて、冷静な内容とは言えません。お恥ずかしい限りですが、訂正させていただきます。ようするに、「山は登り始めれば、自分の足で引き返すか登り切って下山するしかない」、というような表現があったのですが当然のことながらビバークすることも、救助を呼ぶことも、選択肢の中にあります。私自身も簡単なビバークの仕方も無線を使って救援を呼ぶやりかたも、煙筒の使い方も一応習ったんですけど。感傷におぼれるあまり、書き過ごしていましたというところが本当のところです。というわけで、もう一度考えなおして、書き直して再エントリーいたします。もとの原稿を見たい方はグーグルのキャッシュなどに残っていると思うので、そちらを。
(以下、入れ直し)
■先々週あたりから、政治部は「政局が緊迫」しているということで、新米政治部記者(といってももう9カ月)も、否応なく巻き込まれている。勤務時間朝8時から25時まで、中国の汗血工場か、ガレー船かという忙しさである。当然私だけでなく、私以上に同僚、そして他社の記者たちが働いていて、平河の記者クラブでは「血反吐吐く」とかいううめき声が他社のブースから聞こえてくる…。もっとも負けると分かっていても、炎天下の戦場に行かねばならない議員の先生方の苦悩とストレスに比べれば新聞記者の方がだいぶんと気楽だが。といった内輪話は、今度にして、今回は、産経以外は一面に記事を掲載していた大雪山系の遭難記事についてである。
■私の学生時代のアルバムに、ガスで真っ白になったトムラウシ山頂でポーズをとっている写真がある。いやあったはず。アルバムは奈良の実家にある。とにかく寒く、吹きすさぶ風の中で亀の子のように首を縮めているような写真ではなかったか。アルバムにはルートも状況も全部メモしてはさんでいるはずなので、実家に帰れば、記憶ももっと蘇ると思うが、当時はとにかくリーダーの後ろをついていくのに必死で実は、頭の中もガスがかかったように真っ白だった。寒くずぶぬれの、山登りを始めて4カ月目の19歳の夏。
■18日、夕刊デスク当番(福島は隔週で土曜夕刊担当もやるようになりました)なので、午前7時半から本社編集局で、久しぶりに体を休めながらゆっくり新聞を読んだ。産経は夕刊は大阪エリアだけなので、土曜夕刊デスクというのは、風呂屋の番台のように妙に時間がある。
■大雪山系の遭難記事をよみながら、断片的に、あ、この地形、この地名知っている、と少しずつ思い出し、私と同じ場所を歩いた人たちが亡くなったんだなあ、と思うと急に旧友の死を知らされたような気持ちになった。土曜夕刊時間帯の編集局がひまでよかった。こいつ、なんで泣いているのかと奇異に見とがめる人もいない。
■各紙とも、ツアー会社やガイドの判断力を批判しつつ責任論や中高年登山の危険性とか問題点を指摘、亡くなった方々の登山歴や家族に残した言葉などを紹介するという構成。これはオーソドックスで当たり前なのだが、おそらく記事を書いている記者の中には同じようにトムラウシを強い風の中、のぼった人もいるのではないかと思う。映画になった「クライマーズ・ハイ」に出てくる主人公の新聞記者も山好きだったが、新聞記者のワンゲル、山岳部出身率は意外に高いから。
■そういう記者は、定番の記事を書きながらも、いろいろなことを考えたかもしれない。たとえば、自分の一瞬の判断ミスで多くの人の命を心ならずも失わせてしまったガイドさんの背負う十字架の重さとか。幸いにも命を取り留めた人たちも、もう二度と愛した山々に登ることができないかもしれないトラウマだとか。
■高校卒業時には受験勉強で甘やかされた体重が60㌔をこえ(今は52㌔、念のため)、到底、山登りや苛酷な運動に耐えられるような根性のないと思われた私が大学でワンダーフォーゲル部に入ったときは、当然、両親は大反対だった。大雪山系を10日かけて縦走する夏合宿のときも、親は、引率者(パーティリーダー)が弱冠22歳の大学の先輩であることに青ざめたものだった。親があまりにもうるさいので、「万が一の場合があっても、山で死ぬことは本望です。リーダーや生き残った人たちを決して責めないようにお願いします」と一筆したためて出かけたのを覚えている。
■そう書いたのは夏山登山で事故なんておこるわけがない、と思っていたからなのだろうが、今思えば、22歳のパーリーなんて、人の命に対する責任を負える年齢じゃないし、毎週末に山を登っていたとしても、けっして十分な山岳経験だとはいえないかもしれない。しかも連れて行くのが、山を始めて数カ月、というひよこばかり。ついでにいうと、あの頃の阪大ワンゲルは前年か前々年に部から遭難死者を出して、部存亡の危機を漸くクリアして本格的活動再開に入ったころではなかったっけ?記憶がどうも定かではないが、ひょっとしたら、事故が起これば、新聞に厳しく批判記事がでるケースのひとつであったかもしれない。
■事故を検証し、その責任を追及し、負うべき責任は負い、反省し事故再発を防ぐように世論を喚起するのが新聞の使命なのだから、一連の記事の書き方も社説も正論である。ひょっとしたら、捜査が進むにつれてツアー会社やガイド側にさらに重大な過失があらわれるかもしれない。
■ただ、新聞記者という立場をはなれて、未熟ながらも山が好きだった、という一個人の思いをいえば、どんなに注意してもどんなにベテランでも、簡単な夏山でも、山岳事故はおこるときはおこる。それが大自然を相手にするということなのだと思う。だからといって、高齢者だから、技術不足、経験不足だからといって、山への門戸を閉ざしてほしくもない。そういう未熟者にも山を教えてくれるトレッキングツアーはありがたい。
■山登りの基本は、自分の足で登り降りること。どんなに苦しくとも自分で登らなくてはならず、そして降りなくてはならない。自分がダメだ、と思っても、リーダーや周囲の仲間に必死になってついていくと、ときどき、自分が想定してた限界を思わず超えて、実はそれ以上の能力が自分に備わっていたことを発見することがある。それが自信につながるし、面白い。
■しかし、超えられる限界と、超えられない限界を見極めることは難しいのだと思う。このくらいの天候の悪さなら乗り越えられる、このくらいの荷重なら耐えられる、と言う判断。自分一人ならダメだと音を上げてしまう肉体的苦痛に、集団なら耐えられる場合もある。
■限界を超えられる、超えられないという見極めは、経験を積んだパーティリーダーなりサブリーダーなりが判断を最終的に下すのだろうが、その判断はとてつもなく難しく重い。20年余り前の19歳のひよこワンゲラーの私たちは何事もなく下山してきたが、たとえば、同じ状況にあったとき22歳のパーティリーダーはどういった判断をくだしたのだろうか、とふと思う。経験がたりないぶん慎重になって出発を見送ったか、若さゆえの自信から悪天候を押して出発したか。
■昨今の新聞記事は、とにかく責任の所在を探して追及するというパターンに陥りがちだ。責任の所在はここだ、誰の責任だと決めてしまえば、遺族の方たちの悲しみも多少いき場をみつけるかもしれない。ツアー料金を払っての登山参加だから、参加者の安全に万全の対策をあらかじめとっているのがツアー会社の責任、というのも正しいのだが、自然相手に万全の安全対策がとれないというのも事実で、本当は責任論だけで割り切れないものも沢山あるのではないかとも思う。
■結局、こういうニュースに接したあと、いろいろ考えて、いろいろ思いをはせて、それでも「私は山が好き。また、のぼる」とひとり、ひとりが覚悟するかどうかが、一番大事なところではないかと思う。家族に、危ないから行くな、といわれたとき、万が一のことがあっても、誰も悲しまないで、山で死ぬことは本望だから、と言い切ってでも行きたいほど、山が好きか、というところに帰ってくるのだと思う。
■山に登りたい人に比べ、ベテランガイドが少ないという点が大きな問題とする声もある。だけどパーフェクトなベテランガイドになるまで経験をつむ以前は誰もが未熟だろう。自分はベテランとなったと自信を持つ人も、実はパニックに陥ったときは判断ミスをするかもしれない。
■だから、トレッキングツアーの参加者は、ベテランガイドがついているから絶対安心なんてことも、露ほどに思うべきではないだろうし、ツアー側も、初心者でも安心です、などと宣伝をすべきではない。「山では何が起こるかわかりません。しかしその危険を上回る魅力と出会えます」と正直に山の怖さと魅力を伝えて、ともに責任と覚悟をもって登山に参加できるツアーを選ぶこと、そういう参加メンバー、ガイドらが信頼感をきちんと醸成できるツアーを組むことが大切ではないだろうか。
■学生時代の大雪縦走のときに、私が必死に追っていたリーダーの若い背中は今思うと、本当はすごく頼りないものだったかもしれないけれど、あのときは全幅の信頼を置いていた。
きっと、彼もそのときの信頼に応えるべく、年齢に似合わぬ忍耐と気配りを自分の中で総動員していたのだろう。
■今回の事故は、参加者から不安の声や中止の要請があったにもかかわらず、ガイドの独断が先行したという報道があった。ひょっとするガイドが参加者から不安を訴えられて、ムキになり、感情的になって自分の判断をあやまたせるような、信頼関係の欠如があったかもしれない、とふと想像したりした。でないと、職業ガイドの立場で、参加者の意見やうったえを無視してまで、強行軍をすすめる心理が理解できない。
亡くなった方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。そして、残された方々の心がいつの日か、癒されんことを祈ります。


by sylvana
ただいま~、本を二冊ばかり出…